3/14/2014

私論、モーツァルトの聴き方

モーツァルトはポピューラー。

トルコ行進曲、アイネクライネ・ナハトムジークの一節なら曲名を知らない人でも、大抵は聴き覚えがある。
CD買ったり、コンサートに出掛けたりしなくても、テレビ・ラジオを通じていつのまにか、巷にモーツァルトは溢れている。

それと同じくらい、モーツァルトのイメージも氾濫している。
『天才』『神童』『天真爛漫』『経済観念無し』『悪戯・ジョーク好み』・・・など数限りない。
あげくの果てには、『胎教に良い』『聴くと頭が良くなる』更には『お酒の醸造に良い』とか様々である。

時には、相反するイメージが、死後200年の間に作り上げられて来た。果たして、どれが本当だろうか・・・。
多分、それはどれも正しいといえば正しいでしょう。モーツァルトを受け入れる人々の心によって、それは変わって来ると思う。


モーツァルトに限らず、音楽の聴き方に『これが正しい、これが間違っている』などと言うことはない。

ベートゥーベンの交響曲を聴く時は正座して聞かねばならない雰囲気がある。
バッハ、ブラームスもまたしかり。

でも、モーツァルトは踊りながら聴くも良し、寝そべって聴くも良し、このようにパソコンに向かいながら聴くも良し、車を運転しながら聴くも良し、BGMとして聞き流しても良し、一心に耳を傾けるも良し。

同じ曲に一人が悲しみを感じ、一人は喜びを感じても全くかまわない。
人々がそれぞれのやり方でモーツァルトに触れ、曲から何かを感じたり考えたりすれば良いのである。

モーツァルトの『正しい聴き方は』それを聴く人の数だけあって良いのである。


モーツァルトは天才か??。

確かに彼は音楽の資質に恵まれ、父の手ほどきによって音楽家としての自己を確立して行った。
それは、本人の努力の積み重ねの上に成り立ったと思う。
彼は、また、優れた集中力と並外れた記憶力を持っていたようである。

こんな、逸話が残っている。

『騒音のないところならば、ゲームをしながらでも、妻、コンスタンツェの陣痛の声を聞きながらでも、あるいは馬車の中でも作曲出来た』

交響曲、39番、40番、41番の3大交響曲はわずか、2週間で仕上ている。そして、歌劇・ドンジョバンニ序曲は初演の前夜、一晩で仕上た。

また、1770年、14歳のモーツァルトは父とイタリアに旅行している。
そこで、ローマのシスティネ寺院で門外不出である秘曲の『九声部からなるミレーレを一度、聴いただけ』で全て楽譜化してしまった。

1781年10月6日の手紙でこんな事を書いている。

一旦情熱が沸くと以前なら2週間を要したものでも4日で仕上ることが出来るでしょう。

1784年4月24日の手紙では

僕、だって、大いに努力しました。そのおかげで、今はもう努力せずに済むようになりました。

まさに、『99%の努力と1%のひらめき及び優れた集中力と記憶力』の上に成り立った天才である。

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